給与計算は、従業員の生活を支える極めて重要な業務であり、支払いの遅延は許されません。
しかし、複雑な計算や人手不足などにより、給与計算のスケジュールが逼迫し、支払日に間に合わないという事態は起こり得ます。
この問題は、従業員の信頼を損なうだけでなく、法的な罰則や企業の信用低下といった深刻なリスクを招きます。
本記事では、給与支払いが遅れることで生じるリスクと、その根本的な原因、そして万が一間に合わなくなった場合の正しい対処法と再発防止策を解説します。
この記事の監修

日本ペイロール株式会社
これまで給与計算の部門でマネージャー職を担当。チームメンバーとともに常時顧問先350社以上の業務支援を行ってきた。加えて、chatworkやzoomを介し、労務のお悩み解決を迅速・きめ細やかにフォローアップ。
現在はその経験をいかして、社会保険労務士法人とうかいグループの採用・人材教育など、組織の成長に向けた人づくりを専任で担当。そのほかメディア、外部・内部のセミナー等で、スポットワーカーや社会保険の適用拡大など変わる人事労務の情報について広く発信している。
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給与の支払いが遅れるとどうなる?発生しうる3つの重大リスク
給与の支払いが予定通りに行われない場合、企業は多岐にわたる深刻なリスクに直面します。
その影響は社内にとどまらず、法的な責任や社会的な信用の問題にまで発展しかねません。
従業員の生活基盤を揺るがす行為であるため、信頼関係の悪化は避けられず、人材の流出にも直結します。
また、労働基準法違反による罰則や、遅延損害金の支払い義務も発生します。
ここでは、給与遅延が引き起こす具体的な3つの重大リスクについて詳しく見ていきます。
リスク1:従業員からの信頼を失い離職につながる
給与は従業員にとって生活の基盤であり、その支払いが遅れることは、生活設計に直接的な打撃を与えます。
特に、家賃の支払いやローンの返済などを抱える従業員にとっては深刻な問題です。
正社員だけでなく、日々の生活費のために働くバイト従業員にとっても、給与の遅延は死活問題となり得ます。
このような事態は、従業員に経済的な不安と会社に対する強い不信感を抱かせ、業務へのモチベーションを著しく低下させます。
一度失った信頼を回復することは容易ではなく、優秀な人材が会社に見切りをつけて離職してしまう原因にもなります。
リスク2:法律違反による罰則や遅延損害金が科される
給与の支払いについては、労働基準法第24条で「毎月1回以上、一定の期日を定めて支払わなければならない」と定められており、支払日に1日でも遅れると法律違反となります。
この規定に違反した場合、30万円以下の罰金が科される可能性があります。
また、民事上では債務不履行となり、従業員から遅延損害金を請求される場合もあります。
支払日の翌日、つまり日付が変わり0時を過ぎた時点から遅延と見なされ、法定利率に基づいた遅延損害金が発生します。
これは、基本給だけでなく、計算が複雑な割増賃金などが未払いだった場合も同様です。
リスク3:企業の社会的信用が低下する恐れがある
給与の支払いが遅延したという事実は、社内だけの問題では収まりません。
従業員の口コミやSNSなどを通じて情報が外部に漏洩した場合、企業の経営状況に対する不安を煽り、社会的信用を大きく損なう可能性があります。
たとえ一度だけ給与計算を間違えた結果の遅延であったとしても、外部からは「資金繰りが悪化しているのではないか」と見なされかねません。
金融機関からの融資審査や取引先との与信取引に悪影響が及ぶほか、採用活動においても応募者が集まらなくなるなど、事業の継続そのものを脅かす事態に発展する恐れがあります。

社労士 小栗の
アドバイス
遅延損害金は退職者に対して特に高リスクです 在職中の従業員への遅延損害金は民法の法定利率(現行は年3%)が適用されますが、退職した従業員(未払いの賃金がある場合)に対しては、労働基準法第114条により「年14.6%」という非常に高い利率の付加金が命じられるリスクがあります。これは企業にとって重大な財務的リスクとなるため、「1日でも遅れたら法律違反」という意識を徹底し、未払いや遅延が退職時まで持ち越されることがないよう、特に注意が必要です。
なぜ給与計算が間に合わないのか?考えられる5つの原因
給与計算が遅延する背景には、単なる担当者のミスだけでなく、業務プロセスや組織体制に根差した構造的な問題が潜んでいることが少なくありません。
担当者の知識不足といった人的要因から、非効率な勤怠管理、複雑すぎる給与体系、タイトな業務スケジュール、そして度重なる法改正への対応漏れまで、原因は多岐にわたります。
これらの根本原因を特定し、適切に対処しなければ、問題は繰り返し発生してしまいます。
ここでは、給与計算が間に合わなくなる主な5つの原因を掘り下げていきます。
原因1:担当者の知識不足や経験不足
給与計算は、労働基準法や所得税法、社会保険関連法規など、多岐にわたる専門知識を必要とする複雑な業務です。
これらの知識が不足していると、手当の計算ミスや保険料・税金の控除誤りなどが発生し、修正に時間を要することで全体の遅延につながります。
特に、担当者が一人しかいない「属人化」した状態は非常にリスクが高いです。
その担当者が急に病気で休んだり退職したりした場合、業務を引き継げる人材がおらず、給与計算業務全体が停止してしまう可能性があります。
経験の浅い担当者が一人で業務を抱え込む状況は避けるべきです。
原因2:勤怠データの集計に時間がかかっている
タイムカードや手書きの出勤簿で勤怠管理を行っている場合、締め日後に全従業員分のデータを回収し、手作業でExcelなどに入力する作業が発生します。
この集計作業には膨大な時間と手間がかかり、給与計算全体のスケジュールを圧迫する大きな要因となります。
特に、打刻漏れや記載ミス、遅刻・早退などのイレギュラーな勤怠の確認作業は煩雑で、担当者の負担を増大させます。
勤怠データが正確に、かつ迅速に確定しなければ、その後の給与計算プロセスに進むことができず、結果として支払いの遅延を引き起こします。
原因3:複雑な給与体系で計算が煩雑になっている
正社員や契約社員、パート、アルバイトなど、多様な雇用形態の従業員が在籍し、それぞれに異なる給与体系が適用されている場合、計算は非常に煩雑になります。
基本給に加え、役職手当や資格手当、インセンティブなど、支給項目が多くなるほど計算ミスも起こりやすくなります。
特に残業代の計算は複雑で、法定労働時間(週40時間)を超える時間外労働の割増や、月60時間を超える労働に対する割増率の適用、深夜勤務(22時~翌5時)における深夜割増など、法律に基づいた正確な計算が求められます。
これらの複雑な計算を手作業で行うことは、ミスの温床となり、遅延の原因となります。
原因4:締め日から支払日までの期間が短すぎる
勤怠の締め日から給与の支払日までの日数、つまり給与計算に充てられる期間が短いことも、遅延の直接的な原因となります。
この短い期間内に、勤怠データの集計、残業代や各種手当の計算、社会保険料や税金の控除計算、全従業員分のチェック、そして銀行への振込データ作成といった一連の作業を完了させなければなりません。
特に月末締めの翌月5日払いや10日払いのようなタイトなスケジュールでは、予期せぬトラブルや確認作業に時間がかかった場合、修正する余裕がなく、物理的に間に合わなくなるリスクが非常に高くなります。
原因5:法改正や社会保険料率の変更に対応できていない
給与計算に関連する法律や制度は頻繁に改正されます。
所得税の定額減税や、毎年見直される社会保険料率、雇用保険料率など、常に最新の情報をキャッチアップし、計算に正しく反映させる必要があります。
特に、健康保険料率や介護保険料率の変更が多い3月や4月は注意が必要です。
これらの変更情報を見落としたり、システムの設定変更が遅れたりすると、給与額に誤りが生じます。
発覚した場合、全従業員分の再計算や差額調整が必要となり、大幅な手戻りが発生して支払いの遅延につながる可能性があります。

社労士 小栗の
アドバイス
勤怠管理は「正確性」と「労働時間の客観的な把握」が最優先 遅延の原因として勤怠データの集計遅れが多く挙げられますが、それ以上に重要なのは「正確性」と「労働時間の客観的な把握」です。労働安全衛生法により、企業には客観的な方法で労働時間を記録・保存する義務(5年間)があります。手書きや自己申告に頼る方法は、集計の手間だけでなく、サービス残業の温床になったり、後に労使間の労働時間トラブルに発展したりするリスクが非常に高いです。給与計算システムと連携できるクラウド勤怠管理システムの導入は、法令遵守と効率化の両面で最優先の対策となります。
【緊急】給与計算が間に合わない場合の正しい対処手順
万が一、給与計算が支払日に間に合わないという事態に陥ってしまった場合、その後の対応が極めて重要になります。
パニックにならず、冷静かつ誠実に行動することが、従業員からの信頼失墜を最小限に食い止め、法的なリスクを軽減する鍵です。
まずは従業員への説明責任を果たし、可能な限りの支払いを実行するなど、順序立てて対応を進める必要があります。
ここでは、給与遅延という緊急事態において企業が取るべき、具体的で正しい対処手順を4つのステップに分けて解説します。
手順1:まずは従業員へ状況説明と誠実な謝罪を行う
給与支払いが遅れることが確定した時点で、何よりも優先すべきは従業員への報告です。
問題を隠蔽したり、連絡が遅れたりすることは、従業員の不信感を増大させるだけです。
遅延の事実、判明している原因、そして具体的な支払い予定日を、正直かつ明確に伝えなければなりません。
伝える手段は、朝礼などの直接的な場や、全従業員宛のメールなどが考えられます。
その際、言い訳に終始するのではなく、会社の責任として誠心誠意謝罪する姿勢が不可欠です。
従業員の生活に影響を及ぼすことへの配慮を示し、真摯な態度で向き合うことが信頼関係の維持につながります。
手順2:確定している基本給だけでも先に支払う
残業代やインセンティブといった変動給の計算に時間がかかり、全額の支払いが間に合わない場合でも、計算が不要な基本給や毎月固定の手当だけでも、本来の支払日に支払うことを検討すべきです。
全額ではないにせよ、一部でも入金があることで、従業員は当座の支払いに充てることができ、経済的な不安を少しでも和らげられます。
この対応は、従業員の生活を守ろうとする会社の誠意を示すことにもなります。
実行する際は、どの項目を先に支払うのか、そして残りの金額の支払い予定日はいつになるのかを、事前に従業員へ明確に説明することが重要です。
手順3:支払いが遅れた分の遅延損害金を計算して支払う
給与の支払いが遅延した場合、企業は法的に遅延損害金を支払う義務を負います。
労働基準法違反であると同時に、民法上の債務不履行にあたるためです。
遅延損害金の利率は、在職中の従業員に対しては現行の民法で定められた年3%が適用されます。
支払いが遅れた日数に応じて日割りで計算し、本来の給与に上乗せして支払う必要があります。
金額の多寡にかかわらず、法律に基づいた対応をきちんと行うことは、企業のコンプライアンス意識の高さを示すことになり、従業員に対して誠実な姿勢をアピールする上でも非常に重要です。
手順4:速やかに不足分を精算し訂正後の給与明細を発行する
変動給などの計算が完了次第、一日でも早く未払いとなっていた残額を従業員に支払います。
先に基本給などを支払っている場合は、その差額を速やかに精算します。
支払いが完了したら、必ず訂正後の正しい給与明細書を発行し、従業員に交付しなければなりません。
訂正後の給与明細には、当初支払った金額と今回支払った金額の内訳を明記し、最終的な支給額や控除額が正確に分かるように記載します。
従業員が自身の給与内容を正確に把握できるようにすることは、企業の義務であり、後のトラブルを避けるためにも不可欠な手続きです。
今後給与計算に遅れないための4つの防止策
一度発生してしまった給与計算の遅延は、緊急対処だけでなく、二度と繰り返さないための恒久的な対策を講じることが不可欠です。
問題の根本原因を分析し、業務プロセスそのものを見直す必要があります。
属人化を排除し、ミスを未然に防ぐ仕組みを構築することで、安定的かつ正確な給与計算を実現できます。
ここでは、将来的な給与計算の遅延を防ぐための具体的な防止策として、業務フローの見直しからシステムの導入、専門家への委託まで、4つの有効なアプローチを紹介します。
防止策1:給与計算の業務フローを見直しマニュアル化する
まず、現在の給与計算業務の全工程を洗い出し、誰がいつ何を行っているのかを可視化します。
これにより、時間がかかっているボトルネック工程や、非効率な作業を特定できます。
その上で、無駄な作業をなくし、より効率的な手順へと業務フローを再構築します。
そして、確定した新しい業務フローを基に、作業手順や注意点を詳細に記載したマニュアルを作成します。
マニュアルがあれば、業務が標準化され、担当者による品質のばらつきがなくなります。
また、担当者が不在の際にも他の人が対応可能となり、属人化のリスクを大幅に低減できます。
防止策2:複数人でのダブルチェック体制を構築する
どれだけ注意深く作業しても、人間が介在する以上、ミスを完全にゼロにすることは困難です。
そのため、ミスが発生することを前提とし、それを見つけ出すための仕組みを業務フローに組み込むことが重要になります。
具体的には、一人の担当者が計算した内容を、必ず別の担当者が検証する「ダブルチェック体制」の構築が有効です。
特に、勤怠データの入力内容、残業時間の計算結果、最終的な振込金額など、間違いが許されない重要なポイントでチェックを行うことで、人的なミスを支払い前に発見し、修正する機会を確保できます。
防止策3:給与計算システムを導入して業務を自動化する
手計算やExcelでの給与計算は、作業が煩雑で時間がかかるだけでなく、計算ミスや数式の破損といったリスクが常に伴います。
給与計算システムを導入することで、これらの課題の多くを解決できます。
勤怠管理システムと連携すれば、勤怠データを自動で取り込み、時間外労働や深夜労働の割増賃金も自動で計算します。
また、最新の社会保険料率や税法に基づいた計算が自動で行われるため、法改正への対応漏れも防げます。
手作業を大幅に削減することで、業務効率が飛躍的に向上し、担当者は確認作業など、より重要な業務に集中できます。
防止策4:給与計算業務を専門家へアウトソーシングする
社内に給与計算の専門知識を持つ人材がいない、あるいは担当者が他の業務と兼務しており負担が大きいといった場合には、給与計算業務そのものを外部の専門家に委託するアウトソーシングも有効な選択肢です。
社会保険労務士や給与計算代行サービスは、給与計算のプロフェッショナルであり、複雑な法規にも精通しています。
専門家に任せることで、法改正にも迅速かつ正確に対応でき、計算ミスや支払い遅延のリスクを抜本的に解消できます。
コストはかかりますが、担当者の業務負担を軽減し、より付加価値の高いコア業務に専念できるという大きなメリットがあります。

社労士 小栗の
アドバイス
アウトソーシングは「罰則リスク」と「法改正対応」の保険 給与計算をアウトソーシングする最大のメリットは、単なる業務効率化に留まりません。それは、「労働基準法違反による罰則リスク」と「複雑な法改正対応」という、専門性が求められる重要リスクから企業を解放することにあります。特に中小企業では、法改正のキャッチアップや複雑な計算の習熟に時間が割けません。社会保険労務士に依頼すれば、専門知識に基づいた適切な計算が保証され、「知らなかった」ことによる法的なペナルティのリスクを劇的に軽減できます。
まとめ
給与計算が支払日に間に合わない事態は、従業員の信頼喪失、法律違反による罰則、企業の社会的信用の低下という三重のリスクを企業にもたらします。
その原因は、担当者のスキル不足、アナログな業務プロセス、複雑な給与体系、タイトなスケジュール、法改正への未対応など多岐にわたります。
万が一遅延が発生した場合は、従業員への誠実な説明と謝罪、一部支払いや遅延損害金の支払いなど、迅速かつ適切な対応が求められます。
再発を防止するためには、業務フローの見直しとマニュアル化、ダブルチェック体制の構築、給与計算システムの導入、専門家へのアウトソーシングといった恒久的な対策を講じることが重要です。